鏡像体が重ねあわせられないときにエナンチオマーとなることはすでに述べた(エナンチオマーの項参照)。キラル炭素があると、そのまわりの4つの原子団の結合順によって、R-体、S-体と2つのエナンチオマーが定義できることは「RとS」の項で述べた。
 では、分子内に複数のキラル炭素があったらどうなるだろうか? おのおののキラル炭素上において「R-配置、S-配置」がありうるわけである。n個のキラル炭素があったら2nの組み合わせがありうることになる。

 (R,S,R,S)-体と、(S,R,S,R)-体の様にすべてのキラル炭素上の配置が逆(R配置とS配置は“逆配置”と言うことが多い)であれば、分子としてはエナンチオマーとなるが、(R,S,R,S)-体と(R,R,R,S)-体のように、完全に逆でない(つまり、どれか同じものがある)場合は、鏡像体とはならない。この場合も、立体異性体ではあり、ジアステレオマー(diastreomer)という。つまり、立体異性体のうち、エナンチオマー以外のものはすべてジアステレオマーである

 エナンチオマーは、比旋光度以外の物理化学的性質がすべて等しかったが、ジアステレオマーはどうであろうか? 実は、ジアステレオマーどうしは、これらの性質は異なる(似ていることもあれば、全く違うこともある)のである。つまり、ジアステレオマーは“違う化合物”として振る舞うのである。


 たとえば、糖類であるグルコース(glucose)ガラクトース(Galactose)はジアステレオマーである。構造式を見れば、赤で示したところだけが異なることが分かるだろう(〜線は、どちらでもよいことを意味するので、実際にはわずか一ヶ所のキラル炭素上の配置が逆なだけである)。同じ糖とはいっても、生体内での役割も異なる。
 これらの糖類が2つつながった二糖類においても、たとえば、ガラクトースとグルコースがつながった乳糖(Lactose)と、グルコース2分子がつながった麦芽糖(maltose)は、やはりジアステレオマーとなる。両方とも食品中に入っているが、化学的性質(粘り気など)も異なるし、味も違う。

 生体に含まれる分子の中には、キラル炭素をたくさん持ったものが多いが、そうなると理論上はジアステレオマーがたくさん存在することになる。大抵の場合は、そのうちのたった一つだけが活性を持つわけであるが、化学的にそれらを合成するときには、ありうるジアステレオマーの中の一つだけを作りわけることが必要となる。これは、非常に大変なことなのであるが、現代の不斉合成化学では、かなりのところまでが可能となっている。人工的にジアステレオマーを作ってみて、天然品よりも活性のあるものを探す、などということも可能なのである。(実際には、天然品が最も高活性のことが多いのだが、どのキラル炭素の配置が“一番活性に重要か”を調べたりすることには役立っている)


おまけ
n個のキラル炭素があると2n個の立体異性体がありうる」、これは正しい。ただ、あくまでありうる”のであって、必ずあるのではない

 たとえば、パスツールが分割した酒石酸(実際には、その塩だが、ここでは話を単純にするため、酒石酸そのものについて述べる)は、キラル炭素が2つある。22つまり4個の立体異性体がありうるわけであるが、図をよく見て欲しい。(R,R)体と(S,S)体は確かに鏡像体であるが、(R,S)体と(S,R)体は、よく見ると(グルッとひっくり返してみると)同じものである。実は、水酸基(OH基)が同じ側にでている(R,S)体と(S,R)体は、分子内に対象面を持ち、鏡像体ではあるが重なる。つまりエナンチオマーにはならないのである。このようなものを、メソ体(meso体)と呼ぶ。

 (R,S)-酒石酸と(S,R)-酒石酸とmeso-酒石酸は、立体異性体である。つまり、3つしか立体異性体が存在しないことになる。ちなみに、(R,S)-酒石酸とmeso-酒石酸、(S,R)-酒石酸とmeso-酒石酸は、ジアステレオマー、である。実際、試薬会社のカタログを見ても、これら3種は別々に販売されている。meso-酒石酸だけは、融点がことなることは言うまでもない。